相対性駄論―石川啄木から藤原竜也へ
足元まで寄って見たらあんなに大きくて、自分にのしかかってくるような存在感に恐怖と浪漫すら感じさせる鉄塔も、こうしてみればまるで虫けらのようじゃないか。
巨大な鉄塔すらちっぽけにしてしまう茫漠とした空も、いまや濁った水溜りに映るカーヴミラーのなかに収まっている。
泣き濡れるほどのことではないけれど、蟹と戯れてみれば少しは何か分かるかも。
追記:
なんてことを書いていると、こち亀のキャラクターである御所河原金五郎之助佐ヱ門太郎による「たごのうら うちいでてみれば しらたきの われなきぬれて カニとジャンケン」を思い出して、一人で思い出し噴出ししてしまったのですが、考えてみるとこれはなかなか深いですよ。
蟹とじゃんけんか、ならばグーを出せば必勝だな、蟹のヤロウの悔しがる顔が目に浮かぶぜなんて思っちゃうところですが、ことはそんなに簡単には済まなさそうですよ。
まず第一に考えられるリスクとしては、ギャラリーの目です。
蟹を相手にジャンケンをしようなんていう時点で卑怯者呼ばわりされる危険をおおいに含みますし、ともかく勝負をするとしても、「えーっ、蟹さん相手にグー出しちゃうわけー、サイテー」とか罵られかねません。
勝負というのは厳しい世界なんだよ!とギャラリーの声を振り切ってグーを出し切るか、世間の目に負けてパーあるいは少なくともチョキでその場を納めるかはあなたの人間性しだいというわけです。
次に考えられるリスクは蟹の出す手は本当にチョキなのかというものです。
そもそもパーとはなんなのでしょう。
一般的に我々がパーを出すとき、「手のひらを開いて」出します。
ならば蟹が手のひらを開いて出したあのチョキのような形は蟹にとってはパーである可能性を否定しきることは出来ません。
あなたが心を鬼にしてグーを出し、その苦い勝利を掴み取ったと思ったとき、蟹は判定に持ち込んだときのボクサーのように両手を高々と上げるかもしれません。
蟹「勝った!僕は勝ったんだ!」
ギャラリー「…ざわ…ざわ…」
あなた「えっ…私…グーを出したんですが…」蟹「ええそうです!そのとおりですよ!だから『パー』を出した私の勝ちなんです!いい勝負でしたね!」
あなた「ふぁっ?チョキじゃん!あんたそれチョキじゃん?」
蟹「なるほど。そういういちゃもんをつけてきますか。じゃあなんですか?あなたは私のはさみがチョキしか出せないと思って、いや思ったからこそ勝負をしたというわけですか?あなたはそんな卑怯者なんですか?私はあなたのことを好敵手だと思っていました。それは私の独りよがりだったというわけですか!」
あなた「!…」
蟹「パーなんですよ!これが私のパーなんです!わかりますよね?みなさん!」
ギャラリー「そっ…そうだ!これはパーだ!」
あなた「なっ、ちょっ、まっ…」
蟹(やさしくかつ見下すような目で)「もうやめにしませんか…。あなたはよくやった。」
あなた(藤原竜也風に)「ぢぐじょおおおおぉおおおぉおぉぉおお!」
いかがです?恐ろしい話だと思いませんか?
蟹と戯れるときは間違ってもジャンケンはなされぬよう。
▼短歌だけ読むのは(個人的には)少々辛いのでこちらがおススメ。
▼きれいなイラストが多いので相対性理論を「ふ~んそうなんだ~」くらいに知っておくには最適の良書
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