本日開店パンケーキ屋さん、あるいはいかにしてパンケーキは呪いとなったのか
朝食にパンケーキ焼いちゃいました。
材料(2人分)
ホットケーキミックス 120g
牛乳 120g
オリーブオイル おおさじ1
玉子 1個
アイスクリーム 適宜
グラノーラ類 適宜
(私はクエーカーのナチュラルグラノーラを使用しました)
メイプルシロップ 適宜
サラダオイル 適宜
バターかマーガリン 適宜
1.玉子と牛乳をボウルに入れて泡だて器でかき混ぜます。
2.そこにホットケーキミックスを加えて混ぜます。
3.混ざったらオリーブオイルを加えて混ぜます。
4.フライパンを熱し、薄くサラダ油を引きます(テフロン加工のフライパンならばサラダ油は引かなくても可)。
5.フライパンを濡れ布巾などに載せ、少し冷まします。
6.火が消えた状態でフライパンにお玉ひとつ分の生地を投入します。
7.表面にポツポツ穴が開き始めたら裏返して、少しだけ、ほんの少しだけ淵を押さえます。
8.裏面はそんなに焼かなくてもいいので、様子を見て出来上がり。
※次のパンケーキを焼く前にフライパンを再度濡れ布巾に載せてから焼くときれいに仕上がります。
上記6.あたりから同時進行で
1.別のボウルにグラノーラをザーッと入れます(皆様がパンケーキに載せたい量をお好みで)。
2.そこにメイプルシロップをザーッとかけます(皆様が好ましい量をお好みで)。
3.メイプルシロップがグラノーラ全体にいきわたるようにスプーン等で混ぜます。
4.電子レンジに入れて30秒ほどレンジ強で温めます(ほんのり温かくなる程度でOK!)。
5.再度スプーン等でガシャガシャ混ぜて、パンケーキが全て焼きあがるまで置いておきます。
仕上げ
1.焼きあがったホットケーキにバター(マーガリン)を塗ってアイスクリームを載せます。
2.その上から先ほどのグラノーラシロップをかけます。
いちおう私的なこだわりとしてはオリーブオイルを生地にいれるところでしょうか。焼き上がりが若干軽くなるような気がしますし、生地があまり甘くならず今回のようにメイプルシロップをかけても全体として甘くなりすぎず、またベーコンなどと一緒にちょっとしっかりとした食事として食べるときにも合います。
※アイスクリームはちょっと前から出しておいた方がいいかもしれません。季節的に冷凍庫の中でカッチカチになっている可能性がありますので。
以上で、こんな感じになります。
▼このグラノーラは大量に入っててなかなか無くならないのが美点です。メイプルシロップはある程度のクオリティのものを使った方ががっかりする結果を回避できます
このパンケーキを作ることになったのは、ある自分ルールのせいなのです。
食パンがない。
それが今朝のキッチンの第一印象だった。
なぜなら食パンがなかったからだ。
しょうがない、パンケーキでも焼くか…でも、めんどくせえな~
( ゚д゚)ハッ!
あわわわ…今なんて思った?今自分なんて思った?
めんどくさいって思わなかった?思ったよね?思いましたよね?
ちくしょーーーー!
それだけは、それだけは思っちゃなんねえNGワード、いやNGなんて生易しいもんじゃあねえ!DEATHワードだ!もういっそDEATH NOTEだ!
いやね、頭がおかしいわけじゃないんですよ。
いやほんとこれ言い訳じゃなくて、マジでマジで、タモさんマジで。
これこそが先述の自分ルールなんですよ。
つまり、「めんどくさいと思ったことはやるべし」、これなんです。
なんでこんなめんどくさい自分ルールを設定しちゃったかと言うともちろんそれなりに思うところはありまして…
自分ルール設定の儀―それすなわち呪いの儀
日常を生きているとめんどくさいって思うことってよくありますよねえ、ねっ、ありますよねっ。
ある日そう思っちゃったときにふと考えたんです。
この「めんどくさい」は費用(労働)対効果を考慮して実行する価値がないと判断したが故の「めんどくさい」なのか、あるいはやらないことの理由付けとしてのそれなのかと。
で、もしそれが後者ならば既に理由付けは自己の中である程度の完成形をとっているあるいは少なくとも取りつつあるわけで、その正当性を自らに対して証明しようとする意識のフローが発生している可能性を含むわけです。
この種の選択について、過去に以下のような形で詳述しています。
「チョコレートがないことはもちろん、もう時間も遅いしな。こんな時間に食べたら太っちゃうし、明日は早く起きなきゃならないからそんなことしてる時間はない。」
ざっとこんな具合です。
これは私が選択しなかった過去について想像で書いているだけですから、もし本当に選択してしまっていたらそれはもうノアの大洪水のごとくあふれ出すサポーティングセンテンスの数々が私の天才的な自己防衛反応によって作り出されたことでしょう。
そうなると、仮にその意識のソースが単なる言い訳であったとしても、やりたくない→それによく考えてみれば費用対効果もよくないし→自分は正しい判断をしている、というよくわからない「よく考えてみれば自己防衛」とでも呼ぶべき反応が行われていることをも考慮しなければならなくなってしまいます。
ここまでくると、もうそれは本当に自分が判断したものなのか、あるいは自由意志とはかけ離れたところで反射神経によってに行われた「よく考えてみれば自己防衛」かの判断が困難になってしまいますし、そんなことを考えていることがそもそも費用対効果に見合わないというスパイラルに突入してしまいます。
最終的にもはや思考の中に意味のある判断が介入する余地がほとんどなくなってしまう恐れがありますので、ひとつの分水領として「自分が『めんどくさい』と思ったとき」を設定しているというわけです。
いわば自分自身に呪いをかけたようなものですが、呪いは「まじない」とも読むんですよね。
頭を少しだけすっきりさせるために、私がやってるおまじないでした( ゚Д゚)<呪呪呪呪呪呪呪呪呪
ディクシー*1
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