ゆめ見るディオスクロイ

メビウスの輪を旅するアドヴェントカレンダー

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ふぉーみゅら


枕元に本を置いておくならば、その内容もさることながら本の種類に注意しなければならない。

すなわち、その位置を占めるにあたって文庫本では不十分であり、当然に単行本であることが要求されるのである。

だって、想像してみて下さい。

いそいそと布団に入って「純粋理性批判」を開くとき、それが文庫本で許されるものですか?

「……そのフォームには、一見して前衛性や実験性のようなものは感じられない。だから、スプリングスティーンもカーヴァーも、多くの知的エリートからは、『おまえら何も新しいことしていない。体制的だ』と教条的な批判を受けることになります。でもそういう知的エリートって、僕は思うんだけれど、だいたいにおいて富裕なインテリ層出身で、60年代に『いいとこどり』みたいなことをしてきたやつが多いんです。(中略)スプリングスティーンもカーヴァーも、その音楽をじっくり聴けば、あるいはその小説をじっくり読めば、決してコンサバじゃないんです。どちらも、保守化したレーガニズムの社会に対する自分たちなりの強固な異議申し立てを行っています。切り捨てられた弱者の痛みをありありと描いています。でもそれらの異議申し立ては、いわゆる60年代世代の前衛主義、ラディカリズム、ポストモダニズムとは無縁の場所から発せられています。」(『夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』)

語り始めた村上春樹をこわごわとのぞいてみるなら、やはり単行本でなければ。