有益なアドヴァイス
この世にはアドヴァイスというものがあります。
何かに行き詰っている人に打開策を提示してあげたり、落ち込んでいる人に勇気を与えてあげたりするというのがその効用として上げられるかと思います。
もちろん私もそれを否定するわけではありません。
しかし、おそらく多くの方が感じていることかと思いますが、アドヴァイスには不思議な側面があります。
それは、「有益なアドヴァイスほど受け入れられない」というものです。
たしかに、有益なアドヴァイスというものは聞くものにそれ相応のストレスや苦痛を与えます。
有益であるからには「やらなければならない」あるいは「解決策はもう聞いてしまったのだから、それを実行しなければ結果は自己責任である」というストレスではないかと思われます。(聞く前から自己責任であることは変わりませんが)
「行き詰まり」という名の桃源郷にとっぷりとつかっているときに打開策を与えるなどというのは、与えられた方としてはまさに天から降って下りてきた災い以外のなにものでもありませんからね。
災いに服がびしょぬれにならぬよう、立派な傘をさすのも悪くはないかもしれません。
でも、願わくはステキな傘を。
災いが打ちつけるのを躊躇ってしまうようなステキな傘をさしたいじゃありませんか。
▼然るべきときに然るべき対策を
▼まずは持ちたくなるものでなければ